微雅
第三章〜冥〜
第七話


 刑執中央にはすでに鈴火以外の者がそれぞれに活動していた。
 藍卯と悠架は厚い資料を手に話し合い。
 利緒は夜回りへ行こうと恋とすれ違って出て行く。
 そんな中、焔李は入り口で立ったままの恋を見ておかしそうに笑った。
 それが、早く処刑してしまえという意味に思え、恋は中央を出て行った。


 外は月が眩しいほどに輝き、視界に不自由はあまり感じない。
 恋は俊果の部屋へと急ぐ。
 屋根の上を走り十数分ほどで部屋が見えてきた。
 と、部屋の外に人影が見える。
 個人部屋の戸の前には正座する俊果の姿。
 禁時にこのようにすることは、刑執と話をしたいという合図になる。
 恋は屋根から廊下に降り、刑執らしく姿勢を正して真っ直ぐ前を向いて俊果のもとへ向かった。
 そして俊果の前で立ち止まる。
「刑執の方、質問してもよろしいでしょうか」
 怯えるような声に恋は無言で答える。
「私の兄……先日亡くなった官位:硫義が処刑されていたというのは本当ですか」
 俊果はうつむいて肩を細かく震わせている。
 その様子を、恋は布越しに見下ろした。
 刑執ならなんと答えるか、俊果の様子を伺いながら考える。
「情報を不用意に口にする事は出来ません。たとえそれが真実でもあなたには知らされていないはずです。どこからの情報ですか」
 冷たいと思いながら恋は強めに言った。
 俊果がピクリと肩を震わせる。
「やっぱり……そうなんですね。次は私ですか」
 今にも泣き出しそうな震えた声。
「ですから……」
 恋は困って俊果をじっと見下ろす。
 俊果の息は荒く、肩を上下に大きく揺らしている。
 確かに恋は俊果を処刑するために今行動しているが、このまま殺してしまう事は恋には出来ない。
 だからといって、このままでは何を言っても俊果に届かない。
 そう感じて、恋は拳を握り締めある提案を口にする。
「硫義 俊果、兄の死の真相を知りたいですか」
 俊果が目を見開いて顔を上げる。
 その顔が痛々しい、と恋は思う。
「もしそうなら、今から書室へ行きなさい。お話して差し上げます」
 見開かれた目が揺らぐ。
 希望と絶望とが混ざり合ったそれを見て、恋は自分が酷く残酷に思えた。
(私は何を言っているんだろう)
 恋は俊果が黙って立ち上がり書室へ向かうその震える背中を見送った。


 俊果の姿が見えなくなって恋は忙しく思考を働かせた。
(今まで色々と調べたけど、たぶん焔李が全部調べてるんだよね)
 刑執がまだ仕事も知らないような者に調査を任せるはずがない。
 この件が、完全に冥の計画したものなら、冥は恋を試すために未調査のものを指定する可能性は十分にある。
 だが、俊果を最初に調べろといったのは焔李。
 おそらく抄基経由で仕事をさせたその時点ですでに俊果の調査は終わり、危険はないと判断していた。
 その上で恋の行動を見ていたのだろう。
(だったら、もういつでも処刑してもいい。俊果のあの様子ならいますぐにでも)
 恋は静かに覚悟を決めて俊果が向かった書室へと足を向けた。


 書室の大きな扉を閉じて足を進めた。
 恋が初めて刑執へ行ったのもここからだ。
 俊果が不安そうに棚の間から顔を覗かせているのが見える。
 恋は静かに俊果のほうへ近づき、歩きながら顔の布を取った。
「俊果……」
 俊果の顔に驚きの色が映ったが、それはすぐに絶望の色へ変わる。
 刑執が素顔を見せるのは処刑の対象である罪人にだけということを知っているのだろう。
 二人の距離があと数歩という時、恋の顔が窓から差し込む月明かりに照らされた。
 俊果の顔がさらなる驚きの色に包まれる。
 ようやく恋の顔を確認できたようだ。
「……朱臣、さん?」
 不審げにいう俊果に、恋は部屋に訪れた時と同じ笑顔で答えた。
「そうだよ」
 恋はさらに足を進めて俊果のすぐ目の前まで来た。
「朱臣さん……どうして」
「どうしてって……分かるでしょ? 刑執だからだよ」
 笑顔で答える。
 俊果が恋の顔と恋の着ている刑執の式服とを見比べている。
 そして急に怯えたように一歩下がった。
「じゃあ……今日私のところに来たのって」
「俊果、あなたを調べるためだよ」
 俊果の顔から血の気が引いていくのが暗がりでも分かった。
 恋は出来るだけ優しく語り掛けるように一言一言口にする。
「さっき、言ったよね。お兄さんの死の真相を教えてあげるって」
 俊果は恋をじっと見つめて固まっている。
 呼吸をするのも苦しそうだ。
「俊果、俊果、大丈夫だよ。俊果がいいっていうまで、私絶対俊果になにもしないから」
 だから落ち着いて、といいながらも恋はそれは無理だと思う。
 しかし、俊果は少し安心したように深呼吸して恋に自分から近づいていった。
「本当……?」
「本当だよ」
 微笑んで答える。
 嘘はついていない。
 恋は初めから、俊果を処刑しろと言われたその時からこうすることは決めていた。
 精霊の力を生まれ持ったのは俊果の責任ではない。
 それを、まるで悪い事であるかのように攻め立てて処刑するのは恋は出来ない事だ。
 恋は俊果の手をそっととり、強くしすぎないように握った。
 そして近くにある椅子へと促す。
「俊果、お兄さんのこと教えてあげる」
 まるで小さい子をあやすかのように優しく、そうできるように必死に。
 その必死さが俊果に伝わったのか俊果はこわばっていた体の力を抜いて椅子に腰掛けた。
 俊果が少し落ち着いたのを確認すると、恋はその隣に座って口を開く。
「じゃあさっきの質問の答えから……俊果のお兄さんは処刑されました」
 俊果の顔が一瞬硬直した。
 そしてしばらく間をおいて震える声で尋ねる。
「どうして、処刑されたの?」
「精霊の力を持っていたから」
 俊果の様子を見ながら短く答える。
 すると、俊果が驚いたように顔を上げた。
 その反応に恋のほうが驚いてしまう。
「……うそ」
 信じられないと言う顔つきに、恋は不審に思って尋ねる。
「俊果……もしかしてお兄さんが精霊の力を持ってるって」
「知らなかったです」
 俊果は混乱したように視点を迷わせている。
 が、しばらくすると俊果の顔が安堵したように緩んだ。
「そう……っだったんだ」
 恋は訳がわからず俊果をじっと見つめる。
 その視線に気づき、俊果はにこりと笑った。
 そしていいにくそうに視線を恋から外した。
「私のせいで、殺されたと思ってたから。私をかばったことが原因だと思ったから……」
 恋は気が遠くなる思いがした。
 俊果が兄の処刑に動揺していたのは、俊果をかばった為に処刑されたと思っていたからだ。
 俊果が兄の精霊の力を知らなかったのだとしたら確かに当然といえる。
 恋は硫義の想いを感じ、胸が苦しくなった。
「お兄さんは、俊果に心配させたくなくて、それで精霊の力のこと言わなかったんだね」
 俊果に自分の心配だけをさせるように。
 俊果は目にたくさんの涙を浮かべている。
 しかし、だからといって兄が処刑されたことには変わりはない。
 俊果がこうまで安心しているのを恋はいぶかしく思った。
 そしてそのままの疑問を俊果にぶつけてみる。
「俊果……だからってなんでそんなに安心するの? お兄さん処刑されたんだよ」
 それを聞いて俊果の顔が哀しそうに笑う。
「精霊の力を持っているせいだってことは、お兄ちゃん自身は悪くないんでしょ?」
 それに、といって俊果は微笑んで恋の方に顔を向ける。
「精霊の力を持っている人はいつかこうなるってお兄ちゃん言ってたから」
 恋は今まで自分が俊果のことを間違ってよんでいたことにようやく気づいた。
 俊果の覚悟は決まっていた。
 だから無理に隠そうとはせず刑執に見つかるその時まで好きな事をしてきた。
 そして自分をかばってきた兄が亡くなったのを知って、兄の為に押し殺してきた精霊に対しての感覚を取り戻した。
 精霊を見かけたら目で追い、笑顔を返す。
 ずっと、そうしたかったのだろう。
 そして、兄が実は処刑されていたと知って、自分のことばがばれたせいだと思った。
 そうなれば、自分が処刑されるのも時間の問題。
 俊果の覚悟を感じながら恋は無言で立ち上がった。
「俊果」
「なんですか?」
 書室で見た当初とくらべれば明らかに落ち着いた雰囲気。
「俊果は本当に、精霊の力を持っているの?」
 自分でも情けないと思うような弱い声で問う。
 俊果は少し驚いたように間をおいてはい、と答えた。
 そして静かに目を閉じた。
 恋が一歩足を進めると俊果が一瞬震える。
 それを見て、恋はゆっくり口を開く。
「精霊の力を持つ人は精霊に守られてるんだよ」
 俊果は目を開けて不思議そうに恋を見た。
「私は、なんで精霊の力を持つのが罪なのか分からないけど、悪い事ではないと思う」
 ありきたりな言葉。
 でも恋は言わずにはいられない。
「悪いとすれば生まれた場所が悪かった。だから微雅を出て、他の場所で精霊と過ごして」
 精霊の力を持つ者は、それを隠すために見えているのに見えないように振舞うなど自分の感覚を偽る事になる。
 それはとてもつらいことだ、と恋は思う。
 俊果の目から涙が溢れる。
 しかしそれは不安や恐怖からではない。
「ありがとう、朱臣さん。もう、いいよ」
 笑顔で俊果は立ち上がった。
 そして緊張気味に目を閉じる。
 恋は刀を抜く。
 手が震えるが俊果に悟られないように、俊果の覚悟に水をささないように息を落ち着かせる。
 そして勢い良く俊果の首を狙って突き立てた。