微雅
第三章〜冥〜
第六話


 俊果の部屋を出て、恋は自分の部屋へと戻っていった。
 恋は結局あまり話を聞き出せなかったことを残念に思いながらも、再び会いに行っても不自然ではない状況にまではもっていけたことに安心していた。
 部屋に戻って戸を閉め、ようやく表情を楽にする。
 刑執であることを隠しての行動。
 部屋を一歩出ると誰に行動を見られているか分からないため、表情にも気を遣わなくてはならない。
「分かったことは一つ」
 恋は俊果の資料を手にとって見た。
 そして布団の上に寝転んで呟く。
「俊果はお兄さんが処刑されていたことを知っている。でもどうして……」
 処刑の情報は官位のごく一部と、抄基のように仕事の為に特別に教えられた者以外は知らされていない。
 当然、身内であれ俊果も処刑のことは知らないはずである。
「お兄さんの死に不審をもったのか、それとも」
 恋は起き上がって戸の方を見た。
 外からは相変わらず景気のいい声が聞こえてくる。
「処刑の事実を何者かに教えられた……? くらいしか俊果が知る術はないはず。誰が何の為に……」
 恋はそこまで言うと突然くすくすと笑い出した。 
 そしてどこか辛そうに天井を見上げる。
(こんなこと考えたって無駄だよね。だって)
「予想なんてもうとっくについてるんだから」
 恋は少し哀しそうにうつむいた。


 またすぐに俊果のところへ行っても怪しまれると思い、恋は部屋でずっと考え込んでいた。
「俊果のあの様子だと、何者かに教えられた事は間違いないんだけど」
 恋は俊果の部屋に官位の男が訪ねて来た時の事を思い出した。
 何かにおびえるような表情。
 しかし訪ねてきた人物を目にしてそれが安堵の色へ変わったのを恋は見逃さなかった。
 俊果があの時予想したのはおそらく処刑の事実を知らせた人物。
「でもあの怯え方」
 少し上ずった声に戸を開けた時の震える手。
(処刑の事実を知ったにしても、どんな風に教えられたんだろ)
 恋が今一番興味深いのは、俊果が兄の死についてどのように知らされていたのか。
 処刑理由や今の俊果の立場まで知らされていたのだとしたら、俊果があそこまで怯えるのも納得がいく。
(だとしたら、迎えが来て処刑されるとでも思ったのかな。……実際しようとしてるのは私だけど)
 恋ははあと深いため息をついて思考を一度止まらせた。
 そして後ろに倒れて天井を見上げる。
 倒れたとき壁が頭にあたったが気にしない。
(こんなこと今考えてたら余計緊張する。今からそれを教えた張本人に会うんだから)
 恋は両頬をパシパシと叩いた。
 恋が俊果に処刑を教えたと思っている人物は涼卦。
 官位に仕事を任されるほどの実力と信用のある人物。
 そして恋が兄のように慕っている者だ。
 しかし恋は、涼卦がある特別な任についていることを知っている。
 それははおそらく刑執も知らない、いや知ることを許されていないであろう任務。
 そしておそらく今回の行動、恋にこれから会いに来る事も俊果に処刑を教えた事もその仕事のうち。
 恋が涼卦の仕事を知っていることは涼卦も知っている。
 そして恋が刑執であることも仕事上涼卦は知っているはずだ。
 だがお互いに表に出してよい仕事ではないので知らない振り、または知られないように振舞うことになる。
 恋が刑執に入る前も涼卦の仕事は知らない振りをしてきた。
 それの負担が少し増えるだけ。
 恋は心を落ち着かせ頭の整理にかかる。
 恋が刑執として調べて得た情報と涼卦の仕事から予想した涼卦の動きは口に出してはならない。
 それでいて、俊果について調べた事を言わなければならない。
「大丈夫、出来る」
 自分に言い聞かせて大げさに笑ってみる。
「それより、せっかく涼卦先輩に会えるんだからたくさんお話しないと」
 恋は涼卦と楽しく話す自分を想像して、俊果のことを思考から追いやった。


 コンコン
 大分日が暮れ、ほとんどの者が修練や仕事一日の終わる時間帯。
 恋の部屋の戸が叩かれた。
 恋もそろそろだと思っていたのでさっと立ち上がって来客を出迎える。
「恋、久しぶりですね」
 いつもと変わらぬ見慣れた青年が笑いかける。
 理知的な顔立ちに優しい笑顔。
 恋が兄のように慕い、そしておそらくは涼卦も恋を妹のように思っているそんな関係。
「涼卦先輩久しぶりです。仕事、頑張ってますか」
 戸を開く前緊張気味だった恋の顔は、涼卦の顔を見た瞬間ほぐれていた。
「もちろんです。恋も頑張っている様ですね」
 恋は綺麗に掃除しておいた室内へと涼卦を促す。
 二人は隣り合う形で机に向かって座った。
 ややして涼卦が話を切り出す。
「さて、硫義 俊果の件の調査報告でも聞きましょうか」
(きた)
 恋はゆっくり肩の力を抜く。
 恋がここまで涼卦への発言に気を遣う理由。
 それは涼卦に話したことが全て冥に伝わってしまうからだ。
 涼卦の特別任務、それは冥に仕えること。
 冥の手足となって働くため微雅はもちろん刑執にもそれと知られてはならない。
 涼卦が冥の手先だと以前から知っていた恋は、刑執に入る前から冥の存在を知っていたことになる。
 もちろん実際本人に会ったのは先刻が初めてではあったが。
「調査っていってもたいして何もしてないけど……」
 ちらと涼卦を見れば笑顔で先を促してくる。
 この関係が涼卦の個人的なものか、あくまで仕事のうちなのかは恋は知らない。
 ただ涼卦を兄のように慕っていることは恋の中で確かなことだ。
「お兄さんがなくなってから、時々怯えるような素振りはしてた。神経過敏になってるみたい」
 誰が見ても分かるようなことを言う。
 涼卦もたいして内容には期待していなかったようだ、その答えで十分だというように頷く。
 涼卦が今恋と話をすることへの目的は、おそらく恋の観察。
 刑執に入っているということをきちんと外部に漏れないよう言動に注意しているか調べるため。
 それが分かっているから余計なことは言わない。
 恋はこれで報告義務は終えましたとばかりに筆記帳を開く。
 涼卦もそれをみて苦笑しながらそれに目を落とす。
 それから禁時直前まで二人は勉強や雑談の時間を楽しんだ。


 涼卦が帰ってしばらくはその余韻で楽しい気分でいた恋だったが、いつのまにかそれは俊果の件へと戻っていた。
「問題は涼卦先輩がいつ俊果に処刑のことを言ったのか」
 最初俊果を見ていたときはまだ処刑のことを知らなかっただろうと恋は考える。
 涼卦は恋と入れ違いに啓魄のところへ行っていた。
 そしておそらくはその時初めて俊果の件を恋が調査していると確認をとった。
「となると俊果と接触したのは……私と会う直前……?」
 なるほど、と恋は頷く。
 俊果の来客に対する怯えようと、今まで見せなかった兄の死への動揺。
 恋が訪れた時俊果は処刑を知ったばかりで混乱していた、と恋は結論付けた。
 そして最後に残る疑問。
「どうして俊果にそんな事を……冥はどういうつもりなんだろう」
 恋は俊果の怯える表情を思い出し、辛そうに立ち上がった。
 そして白い式服に袖を通す。
 時は禁時。
 刑執の活動時間。