微雅
第二章〜刑執〜
第七話


 しばらく歩いていると、突然利緒(リオ)が立ち止まった。
 (レン)が不思議に思っていると、利緒は振り返って穏やかに言った。
「恋、少し面倒事が起こったようです。
 焔李(エンリ)に呼ばれましたので、これから中央に戻らせていただきます。
 恋は見まわりを続けていてください」
「いつ焔李が?」
刑執(ケイシツ)は特別な能力で意思伝達をする事が出来るのですよ。それではお気をつけて」
 一度にこりと笑うと、利緒は恋とすれ違ってもときた方へと足を進めた。
 慌てて恋が振り向くと、利緒の姿はすでにどこにも見当たらなかった。
 恋は暗い廊下に一人立ち尽くした。


「焔李、何を企んでおられるのです」
 中央に戻った利緒は穏やかに問い掛けた。
「分かって聞いているんだろ」
焔李は真っ直ぐ向けられる視線を避けるように顔を背け、低い声でこたえた。
「反対はいたしません。恋には良い経験となりましょう」
 利緒の言葉に、焔李は少し驚きながらも、ほっとしたように肩をおろした。
「それで、私はこれからどういたしましょうか」
「手間取らせて悪かった。仕事に戻ってくれ」
 見まわりをする必要のなくなった利緒が、試すように焔李に問うと、焔李は息をついて事務的な態度で返した。
 利緒は一度くすりと笑って中央を後にした。
 すると、利緒が出たところと丁度反対側にある扉から一人の男が入ってきた。
 刑執の一人の(キョウ) 藍卯(ランウ)だ。
 細身のいかにも真面目そうな彼は、中央へ一歩入ると、立ち止まった。
「どうした、藍卯」
 焔李が呼びかけると、藍卯は表情を変えないまま口を開く。
「例の奴は、牢を出た後朱臣(スオミ) 恋の方へ向かっているようです」
「そうか。予定通りだな。……で、ほかに何かあるんだろ?」
「一つ問題が」
「何だ?」
「実は」


「……暗い」
 利緒と別れた恋は、一人暗い微雅の廊下でたたずんでいた。
 唯一の光源だった月も、少し前に雲に隠されてしまった。
 恋は一度大きくため息をつくと、緊張気味に足を進め始めた。
 辺りは静まり返り、恋の足音がやけに大きく響く。
 しばらく歩いて、角を曲がると広い庭にでた。
 どこかの(サイ)心央(シンオウ)なのだろう。
 連絡板に、死舞の結果と思われる紙が掲示されている。
 恋は足をとめてそれを黙って見つめ、また歩き出す。
 と、突然風を切るような音が聞こえ、何者かが恋のすぐ上の屋根から何か金属音をたてて心央へ降り立った。
 今は刑執以外の者は外出してはいけない時間帯、禁時(キンジ)
 だから、恋は初めその者を刑執だと思った。
 だが、その者が着ている白い衣は、闇に溶け込んでしまいそうで、刑執のそれとは明らかに違う。
 衣を見て男だという事は分かるが、それ以上は確認できない。
 固まってみていると、やがて男は恋の方を振り向き、暗がりであるにも関わらず、その者の目は瞬時に恋を捉えた。
 そして恋は、自分が今刑執の式服である、暗闇でも白く浮かび上がる衣を着ていることをようやく思い出した。
 男は、恋を見るとひどくあせったように辺りを見回す。
 そして周りに誰もいないことを確認すると、恋に向かって勢いよく近づいてきた。
 恋は突進してくる男が素早く振ってきた刀をよけながら、鈴火(レイカ)の話を思い出した。
『今牢にいる奴で一番やばいのはーやっぱあいつかなー。
官位殺しして外に微雅の情報もらそうとした凶悪犯でー。
私が捕まえたんだけどかなり凶暴だったんだよー。
牢でも近づくと暴れるから衣も囚人の黒いの着せられないしー。
極刑っていうのは決まってるんだけどねー。
っていうか見て、この傷そいつにつけられてさー利緒さんがちょうどいなかったからって焔李が手当てしてくれたんだけどすっごい乱暴で』
 恋の顔からサーと血の気が引いていく。
 鈴火が持て余すような罪人が目の前にいる。


 男は余裕のない必死な様子で恋を攻め続け、恋はそれを何とかギリギリでかわしていく。
 刑執に処刑されよとしていたこの男はことごとく恋の急所を狙ってくる。
 激しく的確なつきで首や目を狙われ、既に首や頬から紅い筋が伝っている。
 戦い慣れした男の動きには隙がなく、首を庇えば腕を、腹を庇えば足を迷い無く斬りつけられる。
 刑執の白い衣に紅く血が滲む。
(逃げてるだけじゃ、殺られる)
 恋は意を決して後方にさがりかけた足を前へ踏み出した。
 そして衣の下に隠し持っていた刀を素早く抜く。
 キィーンと鋭い音が響く。
 もともと力の無い恋は強く振られた男の刀に弾き飛ばされた。
「……っ」
 背中を強く地面に叩きつけられ、呼吸が困難になる。
 それでも恋は息を整える事もせず素早く立ち上がり刀を構える。
 しかし恋の刀の先に男の姿は見当たらない。
 驚いて恋は周囲を見回す。
 それでも男の姿を捉えることが出来ない。
(落ち着け落ち着け落ち着け)
 恋は辺りを気にしながら、今にも暴れ出しそうな心臓を落ちつかせようと息を吐いた。
 注意深く足を進める。
(気配は、ある。そんなに遠く離れてない)
 恋は廊下の方へ近づいていった。
 障害物を背にする事は戦いの最中良い事とは言えないが、相手が見えない以上一応の安全策にはなる。
 建物までもうすぐというとき、恋は突然立ち止まった。
(どうしてだろう。建物に近づいちゃいけない気が)
 恋は建物の方を向いたまま後ずさった。
(ちょっと待って、落ち着け落ち着け落ち着け、あの男は)
 いったいどこから現れた?
 心臓の音が大きく響きく響くと同時に、チッという舌打ちとともに上空で風を切る音がした。
「上っ!」
 上空を見上げると、宙に浮いた男の姿。
 恋の真上から刀を下に構えて真っ直ぐ落ちてくる。
 一瞬頭の中が真っ白になる。