微雅
第二章〜刑執〜
第五話
+同日五月十六日 午後十一時+
いつもなら勉強をしている時間。
恋は部屋の奥で、刑執(から渡された札をじっと見つめていた。
「はぁ〜。啓魄(は仕事だし、(何の用にしても)人の来る気配もないし。
考えてみればこんな静かな夜は久しぶり。
たいていこの時間は、樟静(や啓魄が来てたり、先輩のところに行ってたり。
でなくても、しょっちゅう外に人の気配があったし」
恋はしばらくこのまま考え込んでいたが、やがて諦めたように札を握り締め部屋を出た。
外は既に出歩く者はおらず、静けさが全てを包み込んでいるように感じられる。
見慣れた景色を通り過ぎ、書室に向かう。
書室といっても多くの種類があるが、一般に書室と言えば誰でも自由に使える場所を指す。
「ここ、か」
三十分ほど歩いてようやく目的地。
少し呼吸を整えてゆっくりを扉を開く。
中は窓から月明かりが入っているだけで薄暗い。
恋はゆっくりと扉を閉め、奥の方へと進んだ。
人の気配は全く感じられない。
「ここ、でいいんだよね」
さらに足を進める。
と、中央付近に来たとき突然足に地を踏む感覚が無くなった。
(床が消え……!)
恋は突然のことに思わず目を閉じた。
しかしそれも一瞬のことで、一秒とたたないうちに着地した。
わずかではあるが落下した感覚に困惑し、足から落ちたもののすぐその場に座り込んだ。
(……明るい)
落ちたことだけに気をとたれていた恋は、ようやくまぶたを通して感じられる明かりに気がついた。
おそるおそる目をあける。
「ここは」
白い光、白い壁、そして白い服。
恋は六角形の部屋の中央に座り込んでいた。
「いらっしゃーい。待ってたよー」
恋の目の前には昨日(すでに零時を知らせる鐘が鳴っている)の刑執。
楽しそうに恋に笑いかけている。
「びっくりした? ごめんねー。痛かったでしょー。衝撃はなるべく少なくなるようにしたんだけどね」
口を開けずにいる恋をよそに、外見十八ほどのその刑執は二つに束ねた髪を揺らしながら話し続ける。
「ここは刑執の活動の中心の部屋、皆は中央って呼んでるよ。
それと、私は破斬( 鈴火(。鈴火って呼び捨てでいいからね。よろしくー」
鈴火は明るく笑って恋に手を差し出した。
恋がその手をとって立ち上がると、鈴火の後ろにもう一つ人影を見つけた。
背は恋と同じか少し高いほどで、鈴火と同じ白い刑執の式服を着ている男の子。
鈴火と並ぶと姉弟にも見えそうだ。
男の子は恋と目が合うと、鈴火と同じく楽しそうに笑って言った。
「お前が朱臣 恋、か。
俺は支矢( 悠架(。検定官位に入ってるから、何かあったら何でも言えよな。
俺のことも呼び捨てで」
「官位、ですか」
官位と聞いて恋が体を少しこわばらせると、鈴火が恋の真横から顔を覗いてきた。
「もっと気楽にしていいよー。仲間なんだから。
ここでは官位はあんまり関係ないしね。昼と夜の仕事は別なんだよー。
あっでもついでに言うと、私も検定官位だから」
「えっ!?」
恋は二人の官位を前にしてさらに体に力が入る。
いくら関係ないといっても、恋は自分の知っている限り官位と会う……ましてや話をするなど初めてのことだ。
二人と話をしていくうち、恋の体に入った力はだんだん自然なものに変わっていった。
話の内容は二人の官位の仕事のさぼり具合や、刑執執行長(の悪口。
一時間ほど話して、恋はすっかりなじんでしまった。
「ところで鈴火、他の人はどうしたの? 確か後三人いるって聞いたんだけど」
椅子にまったりくつろいでいた鈴火と悠架はその言葉に、急いで立ち上がった。
「そうだ忘れてた」
「もうそろそろ焔李(が来るんじゃねぇのか?」
「やっばーい」
二人が同時に顔を青くする。
「どう、したの?」
「ごめん恋、執行長からの仕事まだ全然終ってなかったの忘れてた。
執行長に会ったら私はずっと仕事してたって言って!」
「あっ恋俺のこともよろし「何やってんだ?」
いつの間にか二人の後ろに一人、あきれたような顔でたっている。
恋は昨日のことを思い出した。
その人は間違いなく。
「えっ焔李(あのね、恋が来たから少し教えてあげてたとこだよー。」
鈴火は精一杯の笑顔で応えたが、執行長仇珪( 焔李は疑いの目を緩めない。
「……そうか。ならいい。で、頼んでおいた仕事は出来てるんだろうな?」
焔李が鈴火に詰め寄る。
鈴火はぎこちない笑顔のまま固まっている。
と、鈴火はようやく先ほどまで隣にいたはずの悠架がいないことに気づいた。
正面の扉から出ようとしている。
「ちょっと悠架! なに一人で逃げてんの」
悠架は止まらず早足で扉に一直線に進む。
「悪い、俺仕事あるから」
そういい残すと、扉の向こうにそそくさと消えていった。
鈴火は焔李が止めるのも聞かずに悠架の後を追って駆け出す。
「わっ私も仕事があるから。じゃね、恋またあとでー」
二人が去った中央にはあきれ顔の焔李のため息が残った。