微雅
第二章〜刑執〜
第三話
布団に入って約二十分。
そろそろうとうとと眠気が入ってきたころ、恋は外に人の気配を感じた。
既に禁時(。
刑執(と特別許された者意外、外に出ることは許されない時間。
不思議に思い、起き上がって戸の方を見ると、月明かりで出来た人影が障子に映っていた。
驚いて立ち上がろうとすると勢いよく戸が開き、何者かが部屋に入ってきた。
柔らかな月明かりに照らされる白い着物、顔にかけられた白い布。
その者は一瞬にして恋の後ろにまわりこんだ。
恋は声を出すことも出来ず、突然の出来事に立ち尽くした。
(まさか、刑……執……?)
恋はゆっくりと振り返った。
薄暗い部屋に、白い着物だけがやけにはっきりと視覚に捉えられる。
「ついて来なさい」
直接頭の中に響く声。
その者はそれだけ言うと、静かに部屋を出て行った。
恋は不安を感じながらも急いで後に続いた。
廊下へ出ると、月以外の明かりはなく、静まり返っていた。
二人は黙々と歩き、恋の見たことのない白い建物に入っていった。
刑執らしきその人は丈夫そうな白い扉を開き、中に入った。
周りに気を取られていた恋も慌てて後に続き、扉をくぐった。
すると突然、恋は強い光に照らされた。
入ったその場所は外に対して真昼のように明るく、白い光にあふれていた。
ついさきほどまでほぼ真っ暗なところにいた恋は、突然の明るさに眼が適応しきれず何も見えない。
と、突然恋は腕を強く引っ張られた。
どこかへ連れて行かれているようだ。
ようやく眼が慣れてきた頃、真っ白な小部屋に入れられた。
中央に人の気配を感じる。
見ると、さきほどの人と同じ白に薄い斑点の入った着物。
つかまれていた腕が離されると、恋は力なくしゃがみこんでそのままゆっくりとその者を見上げた。
まだ眼が完全には慣れていないためまぶしさに目を細める。
「ようこそ、刑執へ」
男の声。
だがそこに真剣さは含まれていない。
楽しそうにさえ感じられる。
(刑執……やっぱり)
恋は自分が本当に刑執に連れられたのだと分かると、思いつめたように視線を落とした。
刑執が姿を見せるのは刑に処される者にだけだったからだ。
男は恋の様子に気づくと軽く笑った。
「おっと、自分が何かしたかと思ってるなら心配は要らないぜ。
今の所、刑執にお前が悪い事をしたとかいう情報は入ってねぇから」
恋は自分が何かしたと思ってはいなかったが、男の言葉を聞いてふっと肩を下ろした。
そして再び顔を上げると、か細い声で尋ねた。
「あの、それではどうして……」
「やっぱりそんな余計なこと気にしてやがったか。刑執の情報は確実だ。
だから、自分が何もしていないなら何も心配する必要はないぜ。
それとも心当たりでもあったか? まぁいい。
お前を此処に呼んだのは……単刀直入に言うと、刑執に入ってもらいたいからなんだ」
スラスラと話す男の口から出た言葉は恋の思考を一時停止させた。
「……え……?」
刑執の男は構わず続ける。
「刑執の仕事はだいたい知っているな?
今は五人なんだが、もう一人くらいいた方が少し余裕が」
「ちょっちょっと待ってください。言っていることがよく分かりません」
慌てて恋が言葉をさえぎる。
すると、突然後ろの方から声が聞こえてきた。
「そうだよー。いくらなんでも突然過ぎるでしょー」
振り返るとさきほど恋を連れてきたと見られる女が立っていた。
顔の布はつけられていない。
「朱臣さんごめんねぇー。
刑執(の長(っていっつもこうなんだー。
ん? あーその人執行長(だから」
「!?」
「朱臣さん刑執入ろうよー」
(本当に、さっきの人……?)
先ほど部屋に来た時とあまりに違う印象に恋は完全に困惑してしまっていた。
男はそれを見て面白そうに笑った。
「とにかく。こっちはお前に刑執に入って欲しいんだ」
男から向けられる真っ直ぐな視線から逃れるように恋は少し身を引いた。
「そんなこと、言われても……刑執はとてもお強いとお聞きしたのですが。」
「入ってからのことは心配しなくて大丈夫だよー。教えてあげるから。」
「そういうことだ。どうだ、入るか?」
「でも」
「嫌ならそれでもいいんだぜ。まぁそしたら抄基(が官位になれなくなるだけだ」
突然出てきた名に、恋は驚き身を硬くした。
「……啓魄(のことですか?」
「十二歳長(、抄基 啓魄。いい人材ではあるんだがな」
「……!」
「恋さん、入っといた方がいいよー。刑執ってさ、今まで誘った人逃したことないんだよー。」
「刑執ってのは結構権限大きいからな。
昇官(やめさせることぐらい簡単なんだぜ。
刑執に逆らわないほうがお前のためだぞ?」
抄基が官位に昇りたいことを知っている。
そして、恋との密接な関係も。
恋は刑執の情報力を感じた。
「……はじめから選択肢はなしですね。分かりました。
ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」
恋が頭を下げると女が嬉しそうに声をあげる。
「やったー。ね、じゃあこれからどうしようかー?」
執行長の方は少し安心したように軽く笑った。
「そうだな……とりあえず今日のところは帰ってもらおうか。
暇な日の夜、禁時前にこれを持って書室に来な」
そういうと、小さな札を恋に渡した。
すると、女が手招きをしてすぐ横にある扉から外に出るように促した。
「真っ直ぐ進めば知ってる場所に出ると思うから。じゃ、また今度、書室でねー」
恋は二人に軽く頭を下げると扉をくぐった。
外は真っ暗。
眼が慣れるまでしばらくかかりそうだ。
「あれ……?部屋からの光が全くもれてない?」
扉を閉める音は聞こえてきていない。
しかし、見える明かりは月からのものだけだった。
不思議に思い振り向くと、見えたのは暗く長い廊下だけ。
「扉が、消えた……」
恋はしばらく固まっていたが、目が慣れてくると、言われた通り真っ直ぐ廊下を進んだ。