微雅
第二章〜刑執〜
第一話


 一つ、刑執(ケイシツ)は微雅に嘘をついてはならない
 一つ、刑執は殺されても文句を言ってはならない
 一つ、刑執は正体を明かしてはならない


 死舞終了後、戦で負った傷が開いてしまった恋は、部屋で阻人である樟静の手当てを受けていた。
「啓魄……周伯が死んだってのに冷静だったね」
 恋はうつむいたままぽつりと呟いた。
 樟静はそんな恋に、治療する手を休めないまま優しい眼差しを向ける。
「そのようなところも長に選ばれた理由の一つでしょう」
「いつも一緒にいたのにね。悲しくなったりしないのかな……。
殺した本人が言っていいことじゃないけど」
 恋の部屋には、まだ周伯と恋の血がついた着物が脱いだままになっている。
 恋は今は白い衣一枚だけを着ていた。
「それでは恋さんはあの時、逆に殺……
下人にされていたら周伯様を恨まれたのですか?」
「それはないと思う。私が弱いのが悪いんだし……すごく嫌だろうけど」
 樟静は期待したとおりの答えを得たというように満足そうに、そして優しく微笑んだ。
「そう思われているのなら大丈夫です。
歳長である抄基様も、きっと死舞で誰がどうなろうと、誰かを責めた考えはしないでしょう。
だから、あなたが周伯様の死を悲しんでも良いのです。それに」
「それに?」
 恋が樟静の方を向くと樟静は恋を見てにこりと笑う。
「抄基様は一番の目的を果たす事が出来たので、悲しみはあったとしてもご満足されているのではないでしょうか」
「目的って?」
「あっお気づきになっていなかったのですか?」
「……?」
「ならいいです」
 樟静はなにやら楽しそうに笑った。
 恋は少し考えたが、今の樟静にはどのように聞いても答えてくれないと分かっているので諦めたように軽く息をついた。
 そしてなにやら少し考えて樟静を見た。
「……樟静」
「はい?」
 今まで笑っていた樟静は、恋の表情が少し明るくなっているのに気づきいつものように優しい表情になった。
「樟静ってさ、目標とかってある?」
「目標……ですか?」
「あっごめん突然、でもなんだか気になっちゃって。
啓魄がね、いつか官位になってやるとか言ってたから。
樟静も何かあるかなーって。ほら、憧れてる人とか、やりたい事とか」
 樟静は少し考えると、いつもよりずっと優しく笑った。
「そうですね、いますよ。憧れている人は」
「誰?」
「下人の方なのですが。
ご存知かもしれません、散桜(サンオウ) 利緒(リオ)という方です」
「散桜 利緒!?」
 恋は一瞬凍るような表情をしたが、軽く首を振って先を促した。
「あっご存知でしたか?
今は下人の中でも指令の任を任せられていて、とても信用も厚いです」
「……そうなんだー。確か、阻人になったのは三年前だよね。
それまでは官位の最高権力の次にあたる越権(エッケン) 利緒(リオ)に長く就かれていたんだよね」
「はい。その頃から周囲からの信頼は厚く、とても優しかったとか。
しかも、越権と言えば仕事の難易度は微雅一とも言われていますから相当な実力者ということでもありますし」
(越権は確か、啓魄の目標にしている三権の一つか)
「とても素敵な方です……本当に」
胸に手を当てて、幸せそうにする樟静に恋は元気に笑いかけた。
「樟静だってすごく優しいよ。治療も上手になったしね」
「ありがとうございます。あっそろそろ昼食の時間ですね。お食事を持って参ります」
 十二時を知らせる鐘が鳴った。
 樟静は静かに立ち上がって部屋から出て行った。
 すると、それから十秒としないうちに抄基が部屋に入ってきた。
「よっ」
「……啓魄」
 恋は抄基がいつもより少し暗いのに気づくと、すっと視線をはずした。
「どうした? せっかく微雅に残れたってのに元気ねぇな」
「だって、周伯が」
「お前が気にすることじゃないだろ。にしてもさすがだな。一瞬で急所を突くんだもんな」
「あはは……何か、体が勝手に」
「そのくせ、最下位と呼ばれ続けているのが分からなぇな」
「試験とれてないからでしょ」
「わざとじゃねぇのか?」
 恋は抄基が少し怒っているように感じたが、わざと明るめに振舞う。
「まさか! 頑張ってるつもりなんだけどなぁ」
 抄基は傷だらけでそれでも明るく振舞う恋を見て、一瞬辛そうな顔をして、それから気を取り直すようにあらためて恋の方を向いた。
「……今日は実戦練習やめるか。お前その怪我だし」
「まぁ、そうしてくれると助かるけど」
「それじゃ、今日の分は明日に繰越って事でいいな?」
「うん」
「……じゃ」
抄基は早々に部屋からでようと戸に手をかけた。
「あれ、もう戻るの?」
「ああ、これだけ言いたかっただけだから。あんまりここにいると圭にも悪いし」
 抄基はそれだけ早口で言うと、すぐに部屋から出て行った。
 入れ違いに食事を持った樟静が入ってくる。
「樟静、今から何かあるの?啓魄すぐに帰っちゃったけど」
「ご存知ありませんか? 死舞ですよ。
午後からは十六歳以上の死舞が行われるのはご存知のはず。
抄基様は、実力的に十二歳相手では力の差がありすぎなので
死舞はそちらでしておられるのですよ。
各歳長には自分の歳でするか、成人の中でするか選択できるそうなので」
 微雅では十六歳から成人と認められ、一人一人に仕事が割り当てられる。
 それまでは仕事はなく、一日の大半を勉強や訓練に費やす。
「今から死舞か。相手が成人だったら大変なんだろうね」
「恋さんよりは大丈夫のようですよ。
それに、抄基様は官位になりたいのですよね。
官位になる資格をとるためには刑執の方と戦わなければならないので、
今のうちから高いレベルで戦っていられるということは抄基様にとって良い事と思いますよ。
それに、結構死舞でも余裕があるようですし。」
 樟静はくすくすと笑って答えた。
「成人相手に余裕、か。
 それに……そっか、官位になるためには刑執と戦うんだっけ」
 刑執というのは微雅の監視、守護、犯罪の捜査、
 そして刑の執行等を行う内部絶対秘密の機関。
 そして微雅の主君、微雅様と呼ばれる者の直属の機関である。
 内情はもちろん、その人数なども知られていない。
 また、刑執について詮索することは重罪であり、最高権力である最澄(サイチョウ)でさえその情報を持ってはいない。
「でも、官位試験では刑執に勝たなくても合格になるそうですよ」
「そうなの? っていうかそうじゃないと誰も合格なんてしないよね」
 刑執は強く、その脅威で微雅をまとめているとも言える。
「官位試験は、あくまで刑執の方に認めてもらうためのものだそうです」
「ってことは、今や今までのどの官位の方よりも刑執は強いってことだよね」
「そういうことになりますね」
 恋は軽く息をついて壁に寄りかかった。
「そんな強い方達に守られてるんだったら何にも心配要らないね」
 微雅にある禁時という絶対部屋にいなければいけない時間帯に刑執は微雅の見回りや主な活動を行う。
 そしてその時に自室の外、戸の前に座っていれば刑執に助けを求めたり、情報を渡すことが出来る。
 刑執は微雅の脅威であり、またよりどころでもある。


 ゴーン
 時報が鳴り響く。
 恋は慌てて体を起こした。
「あっごめん樟静。そろそろ戻ったほうがいいよね」
「そうですね。それでは失礼させていただきます」
 樟静が部屋を出て行くと、恋は一人深いため息をついた。
「刑執、か。最近感じるこの視線……いったい何なんだろう」
 死舞の時速く動いたせいで、前より少し傷が痛む。
 恋はしばらくぼうっと考えていたが、やがて諦めたように勉強をはじめた。