恋が自分の個人部屋へ戻り布団へ倒れたその直後。
 突然戸が開かれ、めったにない景気の良い声を発する二人が入ってきた。
「あれ、珍しいね喧……」
 話しかける恋の声が薄れていく。
 目の前には傷だらけの上大変不機嫌そうな抄基と樟静。
 驚いて固まっている恋に樟静は優しく言う。
「すみません。驚かせてしまいましたね」
 優しい口調のわりに顔はまだ怒っていた。
「えっと……大丈夫?」
「見れば分かるだろ、大丈夫だ」
 珍しく苛立ち気味の抄基が口を挟む。
 恋は困惑しながらも、とりあえず部屋の奥にある薬箱を取りに行った。
 二人は怒った空気を漂わせながらも、いつもと同じように落ち着いた物腰。
 顔と行動があってないよ、と恋は思ったが口に出すのはとどめた。
 いつも落ち着いて常に冷静で自分をも客観視出来るはずの二人がこうまでいらだっている。
 それに特殊な原因があることは恋にも容易に想像が出来る。
 体中の傷を無視して休んでいる二人の手当てを一通り終え、恋は話を切り出す。
「何があったの、啓魄も樟静も怪我なんてめったにしないよね」
「私達の五つ下の歳の方々の個人部屋が襲われたんです」
 前より少し落ち着いた樟静が言った。
 そして抄基も口を開く。
「理由はわからないが、正気ではなかったな」
 犯罪だったらあとで刑執で調べてみようと思いながら、二人を交互に見つめる。
 どうやらその事件自体に不機嫌になっているようではなさそうだ。
「それで?」
 恋が先を促すと樟静が静かに話し出す。
「歳の方々が傷つけられそうになっているとき私がちょうど近くを通りかかりまして、とっさに飛び出してかばっていたんです。そうしたら」


 目の前には興奮気味の男刀を振り回しまだ戦闘教育を受け始めたばかりの子供へと刃を向けている。
 樟静は男の顔を見て、男の精神状態とその場の危険性を読み取り周りの者達へ逃げるように呼びかけた。
「みなさん、お逃げください!」
 微雅といえど、まだ幼少のその者たちは男の姿に体を硬直させて逃げ遅れる者も多くいた。
 と、逃げ遅れた一人の者へと大きく刀が振り下ろされた。
 他の周りの子供達が叫ぶ。
 もう助からない、と思った瞬間。
キーン
 金属音があたりに響いた。
 目を閉じていた子供が目を開くと、短剣で男の大きな刀を止めている下人の姿。
 樟静は刀を押し返しながら男の顔をじっと見る。
(やはり、正気ではありませんね)
 しかし相手は大人の、それも戦闘員のようだ。
 男が力を入れると刀は簡単に押し戻されてしまった。
「に、逃げてください!」
 周りで固まっている幼い子供達に呼びかける。
 固まっていた子供達が一斉に散らばった。
 男は樟静にさらに体重をかけて刀を押してくる。
(この方は、人の血を欲しているのでしょうか)
 刀の接触部分が震える。
(書室で見たことがあります……たしかこの場合)
 人の大量の血を見れば症状はおさまる。
 樟静が短剣に込めた力を抜こうとしたその時。
「ぐあっ」
 うめき声と倒れて見えなくなる狂気じみた男の顔。
 そして、目の前の見覚えのある少年。
「抄基……なぜここへ」
 樟静の言葉に抄基の目がさらに強く光る。
「圭、お前今なにしようと」
 言いかけて抄基は突然勢い良く飛びのいた。
 男が起き上がったのだ。
「まだ……正気ではありませんね」
 チッと抄基が舌打ちをする。
 そして二人は同時に男に飛び掛った。
 皮膚を刃物が通る感覚、耳のすぐ近くで聞こえる風を切る音。
 二人はあっという間に傷だらけになっていた。
「ハァ、ハァ……っくそ」
 至る所から血を流す抄基を見て、樟静は息を整えて声をかける。
「抄基、やはり」
「駄目だ」
「まだ何も言っていません」
「駄目だ」
 抄基は繰り返し短く答える。
 樟静がため息はついて男の様子を伺う。
 とそのとき、男の動きが急に早くなった。
 樟静が男の姿を見失った瞬間。
「圭!」
 抄基の叫び声。
 そして目の前の白い衣。


「刑執だったの?」
 はい、と樟静は静かに答える。
「やはり、刑執は私達のことをきちんと守ってくださいました」
 一瞬にして男は取り押さえられ、連れて行かれた。
 刑執は樟静と抄基に一言感謝する、と告げ去っていった。
 二人に起こったことがようやく理解でき、恋はじっと抄基を見つめた。
(へぇ、それであんな不機嫌なんだ)
 まったくこちらを向こうとしない抄基に恋は笑いかけた。


 抄基が仕事のため早々に部屋を出て行ったあと、恋は樟静に気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇ樟静。啓魄が怒ってた理由は分かったけど、どうして樟静は怒ってたの?」
 樟静はふふと笑って答える。
「それは、秘密です」
 樟静がそういえば、恋はもう追求してくる事はない。
 二人はいつものようにのんびりと何もない午後を過ごした。


 あのとき、必死で戦っていたあなたが少し、頼もしく思えたのが、なんだか癪だったんですよ。


 翌日、樟静と抄基はお互いの怪我を心配し合っていた。





おまけ

「……は?」
「だから、しばらく見てたって言ったんだ」
 刑執へ向かい、丁度その場にいた焔李に樟静達の事件のことを尋ねると信じられない言葉。
「つまり、樟静がその罪人と刀合わせてた時、焔李はそれを見物してたってこと?」
 苛つき気味の恋が重ねて問うが、焔李は笑って返すだけだ。
「そんな心配すんな。さすがに命に関わるようなことになりそうだったら助けてた」
 恋はあきれてため息をつく。
「だが」
 焔李の声が急に真剣なものに変わる。
「あれが歳の奴らに襲い掛かっていた時は俺はまだそこにいなかった。
 圭 樟静がいなけばまぁ、何人かはやられていただろう」
 樟静の行動は確かに人の命を救った。
 その事実に、恋は刑執としての感謝と個人としての尊敬を樟静に向けた。
「でも、それじゃあ着いてすぐ助けたらよかったでしょ」
 恋がむすっとして焔李を軽く睨む。
 焔李はそれに気づき苦笑して恋から大げさに視線をずらした。
「圭 樟静は下人だが、かなりの修練を積んでいる。実力が見たかったっていうのが本当だ。
 そこに抄基が加わったんで、かなりいいものが見れたぜ」
 刑執は微雅を守るだけでなく調べ監視するのも仕事。
 恋もそれは承知していたが、予想以上のことにため息をつくしかなかった。
 
 しかし焔李がここまでギリギリになるまで見物していられたのは
 一瞬で二人を助けることが出来る焔李の確かな実力と自信からのものであることを恋は改めて実感した。
 
(2006.5.14)